1663 年(寛文 3 年)、筑後川から水を引き、150 ヘクタールの新田が開発されました。その後、長い間筑後川と農業を結びつけていた堀川用水も、年を経るに従って、絶え間ない洪水などで取入口に土砂が蓄積 し、用水がたりなくなりました。せっかく開田した田さえも旱ばつの害を受けるようになり、享保 7 年(1722)藩役人の判断により取入口変更の工事が行われることになりました。恵蘇八幡宮の前にあった井手口を埋め、現在地点(水神社境内の地下)の岩 を切り貫いて、開閉自在の水門が作られました。さらに宝暦 10 年(1760) 11 月中旬から明和元年(1764)に完成するまで約 5 ヶ年の歳月を費やして、新堀川掘削の工事を完成し、寛政 2 年(1790)には、筑後川いっぱいに石堰を築造し、現在も 670 ヘクタールの水田をうるおしています。この工事を行ったのは、堀川の恩人といわれる古賀百工です。工事にとりかかった時には、70 歳になっており、老体に鞭打って、養子の十次郎と共に寝食を忘れ工事の指揮に当たったと伝えられています。
◆お問合せ: 0946-52-0531(山田堰土地改良区)
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