1333年(正慶2年)12月、後伏見天皇第6皇子長助法親王が彦山の座主(ざす)として入御され、その館を上座郡黒川村(朝倉市大字黒川)につくり「黒川院」と称しました。この長助法親王から舜有法主まで14代の座主が黒川に館を構えました。
戦国乱世になるとい、彦山も安泰ではなく、1578年(天正6年)、ときの座主・舜有法主は、北部九州を押さえていた豊後の大友家に対抗していましたが、筑前夜須郡の秋月種実が彦山に背き、同年12月には黒川院も秋月軍により焼き討ちされ灰燼に帰しました。
舜有法主の墓は、黒川字宮園の迫にありますが、これ以前の座主の墓も黒川に存在すると考えられていますが、現在まで見つかっていません。
彦山修験道の即身即仏を念ずる参龍修行場として「彦山流記」では49か所の霊窟をあげており、黒川の岩屋権言もその1つといわれています。
また、彦山神領・彦庄内の各村に置かれていた彦山麓七大行事社の一つである黒川高木神社は、平安時代822年(弘仁13年)の創建と伝えられています。10月29日を中心に前後数日間行われるオクンチは、筑前朝倉の宮座行事として、福岡県の無形民俗文化財にも指定されています。
◆お問合せ:0946-22-0001(朝倉市教育委員会 文化課)
◆関連リンク:共星の里、黒川のホタル、音楽館、たかき清流館、梨狩り
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